私はライブレポートとかCDレビューとか、音楽関係の文章を多数書いてきてますが、文体がかなり独特でしょ?音楽以外に関してもそうですけど…
音楽やってる人なら、誰でも「この人に影響を受けた」っていうのがあるはずですが、楽器を諦めた私にはそういう話をしようがありません。でも、そこそこ好評な?文章についてなら言いようがあるかも。
音楽やってる人なら、誰でも「この人に影響を受けた」っていうのがあるはずですが、楽器を諦めた私にはそういう話をしようがありません。でも、そこそこ好評な?文章についてなら言いようがあるかも。
というわけで、私が独自の文体を確立するのに影響されたのは、音楽ライターのどなたでもなく、ホラー作家で神仏や民間伝承に関するエッセイも多く残している、加門七海さんなんです。
ハード・ロック/ヘヴィ・メタルについて書くことが多いけど、「BURRN!」関係者諸氏の真似にしたくない、というのがまず頭にあります。こっち方面のファン以外の人が読んでもわかりやすい文章にするために、まず横文字は極力使わずに平たい言葉を選んで書く。だってあの雑誌の文章読んでたら、「こんなややこしい横文字言葉使わなくても、日本語で○○って書いたら済むことやんか」と思うことが多数ありますので。
それから、小野島・山崎・今泉あたりとは主張が相反するから最初から違ったものを目指してるし、大野さんは尊敬してるけど真似するのは違うだろうと思うし…
それから、小野島・山崎・今泉あたりとは主張が相反するから最初から違ったものを目指してるし、大野さんは尊敬してるけど真似するのは違うだろうと思うし…
そんな私は音楽のみならず歴史や寺社・古美術について書くことも多いので、そっち方面のいろんな人の文章を読んでいった中で、加門さんの存在が目に留まったんですね。
小説ではスリリングでおどろおどろしい文章ですが、エッセイでは豊富な知識を駆使し、なおかつユーモアたっぷりの軽妙な文体で神仏やオカルトな事物に対しても親しみやすく読める…
彼女のエッセイを読んで、「やりたかったことを先にやられた!」という思いがあったんですよ。
だから、そっち方面のことを書いたって「加門七海の真似やん」と言われるのは回避出来ないだろうし、それなら音楽関係で同様のことをやればいいか、と思って今の私の文体が出来上がってきたんです。
彼女のエッセイを読んで、「やりたかったことを先にやられた!」という思いがあったんですよ。
だから、そっち方面のことを書いたって「加門七海の真似やん」と言われるのは回避出来ないだろうし、それなら音楽関係で同様のことをやればいいか、と思って今の私の文体が出来上がってきたんです。
確かにいろいろ読んでたら影響も受けるし、それは否定しません。でも「自分が持てる知識をありったけに駆使し、かつ読む人が入り込みやすいようにユーモア(のつもり)も交える」というスタンスが共通してるから「手本」にしてるだけであって、「真似」ではないんですよ。この違い、わかって下さいね。
そんなわけで、加門七海さんがどういう文章を書くのか興味のある方、写真の「うわさの神仏」あたりから読んでみることをおすすめします。それで私の言わんとしていることがわかって頂ければ幸いかなと。